海辺より。

日々の事を色々と綴ります

模写

時々ふと脳裏に「絵」が浮かぶ事がある。それを残してみようといざ紙に向かうけれど描けない。いや、訂正、正確にはその行為自体には至らず「きっと描けない」と私は認識しているから実際に紙には向かっていない。以前は絵を描いていた事もあるけれど数十年本格的に描いていないので今はもう描けない。いずれは…描きたいなぁと思っている…だけ。(ここポイント)でもでも。描けたら…という思いは残っているのでいずれは描く時がある"かも"しれない。今、じゃあ何か描いてみせて、と言われて描くとしたら「らんま1/2」の女らんまやあかねを描くだろう。それは何度も何度も真似て描いてきたからこそ今でも描けるんだと思う。シャンプーも頑張れば描ける。(あれ…髪型どんなだったっけ…)じゃあドラえもんを描いて、と言われたら描けない。白と青の境目がどこだったかもあやふやで、のび太君を助けるような優しいドラえもんは描けない。何度も描いていないからだ。(いや…もしかしたら描けるか?コロ助にするか)
厄介なのは「じゃあオリジナルを描いて」です。これは本当に難しい。きっと上手く表現も出来ない。描けたとしても同じ顔の方向、同じ目、首から下は描かない。いや、描けない。じゃぁ何から始めれば少しは描けるようになるだろう…と考えればやはり答えは「模写」なのだ。何か好きな絵をそのままそっくり真似て描く。それを何度も繰り返す事で自分オリジナルのものを描けるようになる…きかっけになると私は思う。美術の授業でもリンゴや瓶や様々なモチーフを構成して描く静物画もいいかもしれない。人物画に限らず。脳裏に浮かんだあの想像したオリジナルの絵も模写出来たらいいのに…。技術の進化でいずれはボタン一つでそのまま想像したその絵を映し出す装置が発明されればいいのに…、いや、それもどうなんだ。それは面白みがなくなってしまう。やはり手は動かして自分の想像したものを描いてみたい。

文章力はどうなんだろう。これも模写?そもそも模写、というのかな?写経?文章はやはり読書か。しかし気に入った文章だとかはメモしたい。物事を知る、それによってものを伝える力とか構成力が身につくんだろうか。「…これ…まわりくどい書き方をしているような…もっとあるよな…」と思う事も多々ある。実際ツイッターで感じた。
伝え方が上手な人は140字数で端的に表現している。私は何度も何度も打ち直しをしていた。こうじゃない、ああじゃない。でも難解な言葉を並べ立てるのもどうなんか、とも思う。自身が使い慣れていないのに多用するものよくない。誰にでも伝わらなければ意味がないと考えるならば。の場合。

音楽もそう。好きなアーティストのコピーから始めてオリジナルを生み出していく。ちなみに私は昔軽音部に所属していてバンドを少しやっていた。ボーカルでジュディマリの曲を歌っていた。話がそれた。あくまでも学生時の部活動だったので本格的ではなかったが楽しかった。またこのお話は別の機会に笑

はい、結果全くもってまとまりがない文章になってしまっている。
いずれはきちんと文章が書けるようになりたいものですね。
ちなみに今打ってる文章は一度メモ帳パッドに書き、それから少しずつ直してコピーしてここにアップしている。皆さんはどうなんだろう。思ったままをスラスラ書けているんだろうか。そのあたり気になる。